先日、皆さまと徳川家康ゆかりの和菓子を食べる会を開催しました。
家康は和菓子好きだったのか、和菓子と関わるエピソードがいくつもあります。
さらに、それらの和菓子を今も食べることが出来るのです。
400年以上前の家康と同じような和菓子を食べられるとは・・・何とも感慨深いです。
早速、家康ゆかりの和菓子をご紹介します!
徳川家康ゆかりの和菓子5選
生せんべい (愛知・半田市の総本家田中屋さん)
「生のせんべい?」とインパクト大な名前ですが、材料は米、砂糖、蜂蜜など。食感はもっちり。ういろうのような感じです
生せんべいは、家康が桶狭間の戦いに敗れ、城へ逃げ戻る際に食べたお菓子。空腹に耐えかね、百姓の家の庭先に干していた生せんべいを食べたとか
家康は生せんべいを大層気に入り、献上するよう命じたところ、百姓の家の娘が献上の際に家康に一目惚れ。しかし、かなわぬ恋に池へ入水。なぜ…
その池には輝く雲母があり、雲母にちなんで生せんべいを作るようになったそうです。せつないストーリーのお菓子ですね
小豆餅(静岡・浜松市の御菓子司あおいさん)
あん入りの求肥餅。餅のまわりはもろこし粉。香ばしくて、柔らかい餅とあんと合って、とっても美味しいです
小豆餅は徳川家康が三方ヶ原の戦いに敗れ、浜松城へ逃げ帰る途中で食べたお菓子
茶店に立ち寄り、小豆餅を食べていたところ、敵の気配を感じて銭を払わず慌てて逃げてしまったそうな。店主は家康を追いかけ、銭を無事に受け取ったそうです
家康が餅を食べた場所が「小豆餅」、銭を受け取った場所が「銭取」と現在も地名が残ります
家康もまさか後世まで地名として残っているなんて、びっくりでしょうね
本饅頭(東京・塩瀬総本家さん)
塩瀬まんじゅうで有名な塩瀬総本家さん。本饅頭はあん玉のように見えますが、超薄の皮に包まれたお饅頭。とっても美味しいです!
あんには大納言小豆入り。豆が表面からボツボツと見え、それが兜のように見えるので、兜饅頭とも呼ばれています
徳川家康が長篠の戦いに際し、本饅頭を兜の上に置き、戦勝祈願したそうです
うばがもち (滋賀県・草津市のうばがもちやさん)
こしあんのあんころ餅に、じょうよの練り切りがのったもの
やや不思議な形ですが、滑らかなもちとこしあんの組み合わせが美味しいです
家康が大阪の陣に赴いた際に、うばがもちが献上されたそうです
うばがもちは戦国時代に生まれたお菓子
織田信長に敗れた近江源氏佐々木氏が孫を乳母に託し、その乳母が餅を作って売り、孫を養育したのが始まりだとか
乳母が作ったので、名前がうばがもちなのですね
安倍川餅(静岡・やまだいちさん)
静岡・安倍川から命名されたのが安倍川餅。きなこ餅とあんころ餅の組み合わせ
昔から東海道の名物として親しまれ、今もきなこ餅を安倍川もちと呼びます
この安倍川餅の名付け親が徳川家康(他説あり)
家康が安部川上流の金山を視察した際に、男が献上したきなこ餅を大層気に入り、製法と名前を聞いたとか
その男は、安倍川の金山の金粉をすくい、餅にまぶして作り、名前は「金粉餅」と話したところ、その機知を家康が気に入り、褒美を与え、餅を安倍川餅と名付けたそうです
以上です。
家康の人生を調べると、大半が戦。
家康にとってお菓子は、戦の飢えをしのぎ、活力を得て、家臣や人々をねぎらう大事な存在だったようです。茶室でゆっくりとお茶とお菓子を楽しむ時間は無かったでしょうね
家康ゆかりの和菓子、どれもお取り寄せ可能です。機会があったら、ぜひ食べてみてください。
なお、今回のお菓子の選定に参考にした本が「城下町に銘菓あり」です。
日本全国の戦国武将が好んだ和菓子や伝統の和菓子など、盛りだくさんに紹介されています。
日本の銘菓や伝統菓子にご興味ある方に、ぜひおすすめしたい1冊です